2011年6月21日火曜日

長い散歩



かなり長い間ブログを更新していませんでした。
この期間に無事就職活動も終わり、来年の4月からも引き続き東京に住んで働くことになりました。

前にブログを更新したのが1月11日なので、考えてみるとそのときから今までで自分はまた大きく変わった気がします。何が変わったのかと言われるとよく分からないのですが、就職活動を通じてこれまで知らなかった日本の社会を一部垣間見られたことは本当に良かったです。

就職が決まってから今まではいきなり「完全に自由に使える時間」が増えて(おそらく必要以上に)色々なことを考えました。ここ数日でようやく気持ちが落ち着いて、ながーい散歩から帰ってきたような気持ちです。

散歩と言えば私はオーストラリアにいるときから外をゆっくり歩くのが好きだったのですが、最近は一層散歩好きになってしまって、週末は誰かと一緒だと3~5時間くらい外を歩きます。話しながらあてもなくぶらぶら、というのが一番楽しいです。

私は元々考え込みやすいタイプだと自分では思っていますが、頭の中で考えをこねるのはほどほどにして、外に出てたくさんのものを見たいと思っています。
書を捨てよ町に出よう、ではないけど。

2011年1月11日火曜日

自分を大切にせよ

人を大切にしなさい、持ち物を大切にしなさい、環境を大切にしなさい、と言われることはよくあるけれど、「あなた自身を大切にしなさい」と言われることはあまりない気がします。
私が高村幸太郎の「花のひらくやうに」を時々読み返し、そのたびに小さな衝撃を受けるのも「自分を大切にせよ」という一行のせいかもしれません。

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「花のひらくやうに」高村幸太郎

花のひらくやうに
おのづから、ほのぼのと
ねむり足りて
めざめる人
その顔幸にみち、勇にみち
理性にかがやき
まことに生きた光を放つ
ああ痩せいがんだこの魂よ
お前の第一の為事は
何を措いてもようく眠る事だ
眠つて眠りぬく事だ
自分を大切にせよ
さあようく
お眠り、お眠り
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今週この話を友達にしたら、「じゃああなたにとって『自分を大切にする』とはどのようなことなのか」と聞かれました。そのときは即答できなかったのですが、しばらく考えてみた結果私にとって「自分を大切にする」とは不完全な自分を許すことなのではないかという答えに行き当たりました。
もちろん「どんな失敗をしてもいいことにしよう」という意味ではありません。

人はどこかしらで自分自身だけに適用される基準やラインを設けていると思います。
「大切にする」とは、自分がその基準を満たせなかったときに少しだけ妥協して再チャレンジする機会を与えること。

しなければいけないことがあったのに眠ってしまったり、そんなつもりはなかった局面で友人を傷つけてしまったり、努力したのに成果が出なかったり、生きている間には小さなことから大きなことまで、自分の不完全さを意識せざるを得ない状況に多々直面すると思います。
おそらくそんな自分を全否定していては前に進めないのではないでしょうか。
そんな状況をちょっと多めに見るというのが私にとっての「私を大切にする方法」であり、人によって方法だけでなく解釈そのものも異なってくると思います。

私は具体的には、オーストラリアから帰国して以来1日1つ自分の体を気遣う「何か」をすることにしています。
ちょっと長めのお風呂だったり、ジョギングだったり、マッサージだったり、その日の気分や許される時間によって「今日は何をしようかな」と考えるのも楽しいです。

自分が自分を大事にしてるんだよ!と分かりやすい形でアピールすることが私にとっては重要なのかもしれません。
思いもかけず「自分自分」のエントリになりました。

2011年1月10日月曜日

向かい合うこと

「サシ飲み」、「サシで話す」という言葉があります。
調べてみたところ、「サシ」は「差し向かう」が略されて江戸時代に使われるようになった言葉で、2人で、かつ向かい合って行う行動を修飾するそうです。つまり「サシでサイクリングする」とは言わない(向かい合って自転車を漕いだら大変なことになりそうですね)。

私は1人の人と向き合ってじっくり話すことは本当に大切だと思っています。
大勢の友達といるときのAさんと、自分だけと向かいあっているAさんはおそらく言うことが違います。
みんなで賑やかに楽しむパーティも好きですが、ある話題に対して相手の考えを深く知るという目的においては圧倒的に「差し」の場が有利です。

2人きりで、しかも互いを向き合っていると相手との会話に集中せざるを得なくなります。別の人々が話しているときに数秒ぼーっとして、ということはできません。
しかも視線や手の動きが正面から見え、見られるため表現がより直接的に相手に届くと思います。
また3人以上の会話が比較的他愛無いコメントの交換になるのに対して、2人だと疑問を投げかけやすいのでより突き詰めるタイプの話をすることが多くなる気がします。

帰国後から現在まで、たくさんの人と2人きりで話をする機会がありました。場所はカフェ、レストラン、居酒屋、大学の生協など様々ですが、どの場所でもよく飲み食いを忘れて話し込んでしまいました。
話す相手も年下の大学生から社会人の方まで様々で、自分自身のことを同じ言葉で伝えてもこんなに異なる解釈を持たれるのかと驚きました。同様に(当り前ですが)人によってロジックの組み立て方が違うのも面白いです。

忌憚なく数時間話し合って、「それじゃあまた今度」と別れられる友人がいるのは私にとって本当に幸せなことです。

2011年1月8日土曜日

Framework: 枠組み

「世界を手に入れても、魂をきずつければ、何の得だろう」(『マタイ福音書』16章26節)

最近ずっと考えていることがあります。
経済や金融を学んでいると、世界は経済や金融という枠組みの中で完結していると思いがちです。もちろん、学問としての経済や金融は枠組みそのものなので完結していても良いのですが、学ぶ側の人間がその人の日常生活においてもその枠組みですべてのものが説明できると考えてしまうのは問題だと思います。

高校生のときに読んだ養老孟司の本に、「お金で買えないものはないと思っている人は、お金で買えるものが世の中のすべてだと思っている人だ」と書いてありました(書名は忘れてしまいましたが)。
私は個人的に、何かが世の中のすべてだと考えるのは避けたほうがいいと思っています。人間は「世の中とは何か」という問いに対して正しい答えを出せるほど全能ではないと感じるからです。

さて、冒頭に書いた言葉は今読んでいる「エンデのメモ箱」(ミヒャエル・エンデ、岩波書店、105ページ)で紹介されていたものです。
「世界を手に入れる」という表現を経済的観点から考えてみます(他にも宗教や政治を通じて世界を手に入れる、という考え方もあると思います)。

1987年の「ウォール・ストリート」という映画に「(金融を通じて)世界を二分することにしたんだ」というセリフが出てきますが、お金、モノ、人(労働力)のやりとりはいまや疑いなく世界規模になってきているので、それを支配することで「世界を手に入れる」という発想が生まれてもおかしくないと思います。
でも、世界とは経済理論、言い換えればお金の流れやモノの流通、賃金率だけで説明できるものでしょうか?
今私にとって重要なのはこの問いです。
いろんな人と話していると、政治にしろ経済にしろ、現存のシステムは所与のものとして議論されないことがとても多いです。

しかし、自分が何の枠組み(=どんな前提)を元に意見を持っているのかを考えずにいると、それは他者に対する無理解につながると思います。人を傷つけてしまうかもしれない。(出典が福音書なので宗教的な表現になりますが)、それで自分の「魂がきずついて」しまうかもしれない。
何かの思想系統に没頭するのは別に良いし、枠組みを1つずつ学んでいくことはもちろん重要です。
大切なのは自分がどの枠組みに基づいて言葉を発しようとしているのか、行動しようとしているのかに意識的であることだと思っています。

今日はこんなところで悶々としていますが、また何か考え付いたら書いてみようと思います。
ちなみに、The Beatlesも同じようなテーマについて"Within you without you"の中で歌っています(以下勝手に和訳)。

We were talking
About the love that's gone so cold
(私たちが話しているのはすっかり冷たくなってしまった愛のこと)
And the people who gain the world
And lose their soul
(そして世界を手に入れ、魂を失ってしまった人々のこと)
They don't know, they can't see
Are you one of them?
(彼らは知らない、彼らには見えない。あなたも彼らのうちの1人なのか。)

2010年12月26日日曜日

ブログをリニューアルしました

ごくごく身近な家族や友達に読んでもらうことと自分自身に記録を残すことを目的に書いていたこのブログですが、留学から帰ってきてタイトルに"after Australia"を追加したのをきっかけにもう少しオープンなブログにしようと思います。
留学中と同様、毎日の生活で考えることを書いていくつもりです。

帰国してちょうど1ヶ月が過ぎ、新しいアパートでの新しい生活も大分落ち着いてきました。
帰国のご挨拶も兼ねていろんな方とお話した結果、自分にはもっともっとインプットが必要だと思うようになりました。

留学中は眼を見開いて生きることそのものがインプットであり、ただただ街を歩き回ることもありました。おそらく今の私に必要なのは机やテーブルに腰を据えて行う系統のインプット。本をじっくり読んだり、時間をかけて誰かとお話したり、というものです。

自分の中に取り込んだものを文章にして整理し残す手段として、このブログを使っていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。

2010年11月27日土曜日

帰国後の発見(とりあえず!)

帰国してまだ数日ですが、カルチャーショックの連続です。

お店の人が丁寧
お店で品物が整然と並べてある。
コンビニが便利
人々が心配症
何かを買うとこれでもかというほど包んでくれる
飲食店が多い
道が狭い
厚着してる人が多い
人が目を合わせない

などなど。オーストラリアに行った当初毎日のように目をまるくしていた時期が思い出されます。

新たに住み始めた街は活気のある商店街、老舗のお菓子屋さん、ジョギングにぴったりの川沿いの道、大きな図書館などがありとても気持ちがよいところです。
とりあえず帰って来てから1人で回転寿司に行きました。

重い荷物を持ちすぎたことと毎日忙しくしていることで今腰痛がきています。
できるかぎり大事にしてこれからに備えたいと思います。

2010年11月26日金曜日

帰国しました!

かなり長い間更新が滞っていました。
留学最後の1か月半は期末試験、レポート、お別れパーティ、旅行と目の回るような忙しさでした。
そして考え方の転換点もたくさんありました。

今は日本の新しいアパートで生活を整えるので精一杯ですが、徐々に留学終盤のこともアップしていきたいと思っています。

そしてせっかく始めたブログなので、留学後の記録として「ポッサム通信 after Australia」とか書こうかな、と思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。

オーストラリアと日本では空の色も日差しも違います。